清貴さんは、2019年5月17日(金) 19時00分~20時00分 放送の『爆報!THE フライデー』に出演されます。
イケメン歌手Kとして紹介されています。
本人のツイッターでも紹介されていますね。
いよいよ明後日です✨
テレビ出演情報📺
5/17(金)19:00〜20:00
TBSテレビ「爆報!THE フライデー」
MC/爆笑問題
スペシャルゲストMC/田原俊彦
出演者/清貴 他https://t.co/lzxzzXmXsn pic.twitter.com/KexAI2NkxI— 清貴 / KIYOTAKA staff (@KIYOINFO) 2019年5月14日
2001年に『The Only One』が40万枚のヒットを記録した清貴さんですが、自殺を考えるほど精神的に追い詰められた過去がありました。
その過去について調べていきました!
『爆報!THE フライデー』の同じ回に出演された上田祥子についてはこちら!
プロフィール
- 名前:清貴(きよたか)
- 生年月日:1982年11月22日(36歳)
- 出身地:宮城県仙台市
- 身長:168cm
- 職業:シンガーソングライター
- ジャンル:R&B・ポップス
1998年、宇多田ヒカルの『Automatic』が社会現象となり、日本に本格的なR&Bブームが到来しました。
清貴さんは2000年10月に“男性版宇多田ヒカル”とも言うべき圧倒的な歌唱力とテクニックで衝撃のデビューを飾りました。
2001年にリリースした3rdシングルの『The Only One』は永作博美さんが主演を努めたドラマ『Pure Soul〜君が僕を忘れても〜』の主題歌となり、40万枚のヒットとなりました。
『The Only One』のMVはこちらです。
『The Only One』をのヒット直後から新曲のリリースが停滞し、メディアへの露出も激減していきました。
そのことは自殺を考えたことと関係があるのでしょうか?
自殺を考えた理由はセクシャリティの悩み?
清貴さんの自殺を考えた理由はセクシャリティ、自身がゲイであるということです。
自身のブログ清貴(KI-YO)の音楽冒険記-世界に挑む音楽侍-でも明らかにしています。
学生時代
清貴さんは小学生の時から恋愛対象は男性だったようです。
いつも気づけば、男の子を目で追っていた。サッカーをした後の放課後、一緒に帰るだけでなぜかすごくドキドキした。
その頃、ラブレターを男の子に書いたことがあった。それをその子のお兄さんに見られてしまって、「あ、ホモだ!」と言われたのが一番最初に自分が何か違うのかなと思った瞬間だった。重ねて転校も多かったこともあり、なかなか馴染めず、いじめもよく受けていた。
中学高校でも周りとの感覚の違いにように悩むようになったようです。
清貴さんは気になる人もわざと突き放し、素の自分を見られないように過ごしてきました。
清貴さんはセクシャリティの悩みから逃げるように、音楽にのめり込んで行きました。
デビュー後
清貴さんは18歳でミュージックステーションに出演時しました。
Mステは人気番組なのでとても反響が大きかったそうです。
ネット上で「タモさんを見る上目使いは絶対ゲイ」といった噂話が囁かれ始めたそうです。
一番触れられたくないと思っていたことに触れられて、メディアに出ることがすごく怖くなりました。
引用:日刊SPA
ゲイだと噂されていることを知り、人と関わるが怖くなってしまった清貴さんは徐々に孤立していきます。
孤立が原因で『The Only One』をのヒット直後から新曲のリリースが停滞して、メディアへの露出も激減していったようですね。
「自分が何をしたいのか?」を問い直したとき、一つの答えがデビュー前から考えていたアメリカでの音楽活動だったようことから渡米を決意します。
渡米後
2010年に単身アメリカに渡りました。
アメリカでの音楽の中でも黒人音楽ととにかく好きで、米国に渡りました。
僕は黒人音楽、特にゴスペルというものが昔からとにかく好きだった。なぜかはわからない。ただ聞いていると身震いして、涙が出てくるのだ。これは同じことにしていいのかはわからないけれど、自分がゲイとして偏見や、差別を受けてきた経験と、黒人の人たちが受けてきたものがどこか共通してるものがあるような気がして。
引用:清貴(KI-YO)の音楽冒険記-世界に挑む音楽侍-
単身でアメリカに渡り、ゴスペルを歌える教会を訪ねて回ることから始めたそうです。
その後、全米最大のゴスペル大会で、初優勝もすることができたようです。
渡米してから「自分は音楽をしにここに来たのだから絶対にアルバイトはしない」と決めていたようで、
ハリウッドの路上で弾き語りをして食い繋いでいたようです。このときは15kgも痩せてしまうほど過酷な日々だったようです。
帰国
アメリカでの音楽活動の傍ら、日本に戻って来ていた時に株式会社リズメディア代表の方に、
うちの事務所に来ない? それから清貴君、ゲイでしょ。カミングアウトして同じように悩みを抱える人たちのために活動したら?
と言われたそうです。
その言葉がきっかけで「悩み続けるより、正直に打ち明けて、自分らしく音楽を表現していこう」と決心したそうです。
清貴さんは帰国してすぐ『TOKYO RAINBOW PRIDE 2015』で初めて公の場で自身がゲイであることをカミングアウトしました。
現在
清貴さんは現在『SING FOR JOY』というプロジェクトを行っているそうです。
東京、仙台、福岡、名古屋で、一般人の方々を募集してゴスペルクワイア(合唱隊)を結成しました。
指導は清貴さんが行います。
清貴さんは
自分をオープンにしていることで、一人の人間同士として純粋に歌うことで繋がっていられる
と語っています。
本当の自分を伝えることができなくて悩んでいる人の背中を押してあげたいと思っているそうです。
まとめ
清貴さんは2001年にリリースした『The Only One』で40万枚売り上げています。
しかしその後、メディアからの露出が急激に落ちてしまいました。
その背景には自殺を考えるほどセクシャリティについて悩んでいました過去がありました。
黒人音楽であるゴスペルを学びたいと単身渡米し、全米最大のゴスペル大会で優勝を飾りました。
2015年に帰国し、自身のセクシャリティについて公表しました。
現在は『SING FOR JOY』というプロジェクトを行っており、自分の気持を伝えることができない人の背中をそっと押して上げる活動に取り組んでいます。